24年6月20日(木)岸田内閣不信任決議案 反対多数で否決!

2026年2月4日
20日午前、立憲民主党が「内閣不信任決議案」を提出、午後2時から衆議院本会議で採決が行われたが、反対多数により否決となった。
前回2023年12月13日に行われた 不信任決議案採決 と同じ、賛成167・反対288だった。


内閣不信任決議案

現行憲法下で、内閣不信任決議案が可決となったのは4回


1948年 吉田茂内閣(第2次):馴れ合い解散

贈収賄汚職昭和電工事件」により崩壊した芦田内閣(民主党)。その後、発足した第2次吉田内閣だったが、少数単独政権。そのため、早期解散総選挙を目指すが野党は反対の姿勢。

連合国軍総司令部(GHQ)の仲介もあり、野党は内閣不信任決議案を提出し、可決。与野党のシナリオどおりの解散となった。



1953年 吉田茂内閣(第4次):バカヤロー解散

衆院予算委員会で吉田首相が質問回答後につぶやいた「ばかやろう」をマイクが拾ってしまい、聞きとがめられ騒ぎが大きくなった。

議会軽視として内閣不信任決議案が提出され、与党の一部が脱党して賛成したため可決となり解散に至った。



1980年 大平正芳内閣(第2次):ハプニング解散

日本社会党が自民党の度重なる不祥事を理由に内閣不信任案を提出。
が、野党は成立するとは思っていなかった。

ところが自民党内部の内輪もめの結果、反主流派69人が欠席。
このため内閣不信任案は賛成243票・反対187票で可決となってしまった。

予想外の可決となったため不信任決議との同日解散ができず、3日後の5月19日に衆議院を解散。6月22日に参議院選挙と一緒に行うことも閣議で決定し、衆参同日選挙という前代未聞の事態に。

さらに、選挙期間中に大平首相の容態が急変し死去。
この死がきっかけで自民党議員らは一致団結。その結果、自民党は大勝となった。



1993年 宮沢喜一内閣:嘘つき解散

今国会中に衆議院の選挙制度改革を公約していた宮澤喜一首相。
だが、党内の意見をまとめきれず次の国会へ先送り。

それに反発した野党が、通常国会閉幕直前に内閣不信任決議案を提出。
過半数を占める自民党の反対多数で否決されると思われたが、党内から造反者が続出し可決となった。

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